光悦寺

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光悦寺

元和元年に本阿弥光悦は、徳川家康から拝領した鷹ヶ峰の地に一族縁者や工芸職人とともに移り住み、芸術村を営みました。その折に、本阿弥家の先祖供養のため位牌堂をもうけたのがはじまりで、光悦の死後、ゆかりのこの地に光悦寺として創建されました。
太虚庵、三巴亭、了寂軒・本阿弥庵など7つの茶室が散在しています。また太虚案前にめぐらされている垣根は、「光悦垣」と呼ばれ、ゆるやかに孤を描いて背が低くなり、牛の寝た姿に似ているところから臥牛(がぎゅう)垣ともいわれています。垣根の周りは紅葉時には鮮やかに色づきます。

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